公開忘れてた記事です(笑)
4月になったばかりの頃はシーバスの釣果が僅かながらあり、スズキサイズのバイトと思われるものも少数あった。
その後はセイゴクラスの釣果ばかりでノーバイトとなる釣行も多い。
写真はキャッチした一部で他は割愛。
魚の付き場が変わったのは明白だったが、河口から豊川河川内を探っても、シーバスを見つけられなかった。
浜名湖でシーバスが好調な情報は聞いており、そちらに移動も考えた。
だが、それは今の釣れない状況を解決する答えにならない。
豊川にスズキサイズのシーバスはいない可能性もあるが、2~3月と記事になっていない所でもシーバスのキャッチやバイトはそれなりにあった。
あれほどいた良型魚が一気に消えるのはおかしい、自分が今のシーバスにアジャスト出来ていないのが自然か。
結論から言うと豊川にスズキクラスのシーバスはまだいる。
稚鮎を追って河川を遡っている個体がいたから。
もちろんシーバスが稚鮎だけを食っているという意味ではない。
ただ単にハクやイナッコ付きを見つけられなく、稚鮎付きが確認できただけ。
稚鮎パターンでセイゴクラスが連続で釣れてしまったことから、この答えに辿り着くまで時間が掛かってしまったのに猛烈後悔。
それでも稚鮎パターン攻略を楽しんでいる真最中だ。
今回のテーマはこの稚鮎。
稚鮎の生態について私の知識に間違いがあると感じ、諸先輩から勉強させてもらったことを、自分なりにまとめてみた。
「海産稚鮎の遡上生態-Ⅰ. 大雲川における遡上群の日週変化」楠田理一 より
空が明るくなると稚鮎は河口で活発な行動をするが遡上はしない。
9~10時にわずかに遡上するが、それは極少数で日中の遡上は少ない。
遡上は河川水温と海水温が最も近づく16時頃に活発となり、日没直後が最高になる。
日没後は遡上数が低下し、21時より翌朝3時までは基本遡上しない(溯上を確認できる例外的な水系はある)。
17~20時の3時間が最も遡上数が多くなる。
17~20時は4.5~4.9㎝が多いのに対し、9~10時は7㎝以上の大型魚が遡上する。
朝方と日中の遡上魚は17~20時の遡上魚より肥満度が高いのに対し、17~20時に遡上魚は痩せた小さな魚が多い。
「海産稚鮎の生態に就いて」 堀田秀之 より
三河湾周辺の稚鮎の多くは11月頃、外海に面した海域に移動する。
2月中旬頃から渥美半島の湾口付近から豊川河口周辺へと順次稚鮎が移動していく。
この外海から三河湾湾口へ移動する最盛期は両水域の海水温がほぼ同一になる頃。
但し、湾内で越冬する稚鮎も存在する。
3月下旬の河川と海水温が同一になった頃に遡上を始める。
稚鮎の移動は水温上昇によるのみでなく、成長によっても左右され、移動の初期段階は魚体が比較的大きく、次第に小さくなる傾向がある。
「矢作川周辺海域におけるアユの初期生活-Ⅰ」 山本敏哉 より
11~12月にアユが多く採集された場所は三河湾の東半分と知多半島の先端付近であり、矢作川河口周辺では少数の採集。
1~2月になると12月以前とくらべて採集数が著しく減少し、採れた場所は湾口部と知多半島沿岸に限られ,湾奥部ではほとんど採れなかった。
水温6度以下では採集されなかったことから、水温低下する浪打際から深みへ移動しているかもしれない。
東幡豆漁業協同組合の漁業者への聞き取りから、アユ稚魚が三河湾湾外から来遊してくると推定。
「矢作川河口周辺海域(三河湾西部)におけるアユ仔稚魚の分布と底質との関係」 山本敏哉、水戸勇吾、山田佳裕、野崎健太郎、吉鶴靖則、中田良政、新見克也 より
矢作川河口域にて2002年11月~2003年3月、2003年11月~2004年3月上旬までの月1回の採集から、河口より沖合3㎞の範囲に稚鮎は分布しているが、有機物が多く含まれる底質(いわゆるヘドロ)では採集されなかった。
これらの知見を得て、私なりに2~4月のシーバスの動きを稚鮎の動きも交えて推測すると、こうなるか。
シーバスは産卵後、2月頃に三河湾奥に入ってくる(2月釣果より)。
3月中旬前後には豊川河口周辺に湾外の稚鮎が溜まる(文献より)。
河川水温の上昇を河口周辺で待機している稚鮎をメインに、シーバスが活発的に捕食活動を行う(3月釣果と文献より)。
3月下旬に豊川橋にて6㎝前後の稚鮎を確認(当時は魚種不明の小魚と思っていた)。
4月の稚鮎遡上を追って豊川河口周辺でシーバスの捕食時間が減少(4月釣果と文献より。)
4月の稚鮎遡上については長良川河口堰の遡上も参考にしている(文献の採集時期から相当年数経過の為)。
以上が私の仮説。
シーバスが稚鮎を追うのは周知の事実かもしれないが、恥ずかしながら私はその実感がないので、へーという感じ。
それならその仮説を証明してよと思われるかもしれないが、その記事は次回に。
最後にはなりますが、魚の生態調査を文献として残して頂いた諸先輩方と、文献をインターネット上に公開頂いている機関に感謝しつつ、この記事を終える。
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